・それに対して、「マスコミの偏った報道に対するカウンターとしてのWeb」に期待する向きというのはかつてあったと思うし、私の中にも、どこかにそういう意識はあった。
・ただ、これも別にここ最近の話ではないが、「失言批判」というのはWebにおいてもセンセーショナルに大盛り上がりなのであり、Webだろうがマスコミだろうが、やっぱり受ける話題というのは一緒なんだよね、という諦めに近い認識をもっている。
・失言報道というものは、失言が基本的に「怒りを煽る」ものであり、「憤ると気持ちいい」「憤りの対象に対して、正義の立場から攻撃するのが気持ちいい」という側面がある為、コンテンツとして非常に強力だと思う。
・結局、Webも数あるメディアの一つなのであり、煽りたい人は煽るし、偏る時は偏るのであって、利用者としては情報をきちんと取捨選択しないといけないですね、という当たり前の結論に落ち着くのかも知れない。
Pulp Fighter 2
Created by Filippo Morini
A mash-up between Pulp Fiction and Street Fighter 2
Submitted by: filippomorini
(出典: andsuddenlycats)
(出典: appbob)
つまり、スポーツやレジャは、ホビィではないのだ(たぶん、これを書くのは4回め)。
hobbyというのは、「個人研究」と訳すべきワードだった。
「趣味」と訳してしまったため、日本人の語感として、
「遊び」「素人」「仕事ではないもの」「余暇」といったイメージに長らくなっていた。
ちなみに、自動車のドライブはスポーツになるし、キャンプや旅行などはレジャである。これらはホビィではない。
ホビィがない人は、ビジネスがない人と同じくらい、不足している人間だと軽蔑される。
ビジネスとホビィのウェイトはあくまでも同等なのである。
既に、最近の日本はこれに近い状況になっている、と感じる機会がときどきある。
そうするとお金がかからないものこそ趣味としてふさわしいのじゃないだろうか。
もちろん金のかかる研究などもあるが。
・死にたい
・お腹空いた
・誰か通話しよ
・疲れた
・どうすればいいの・・
・泣きそう
・吐きそう
・何を信じればいいの
・頑張れワタシ
・気分転換したら楽になった
・ダメっ!もう病まないって決めたんだからっ!
「人間は書物のみでは悪魔に、労働のみでは獣になる」
(徳富蘆花)
選挙の度に、選挙カーのがなり立てる連呼がうるさい。地方選挙、とくに市町村会議員選挙のレベルになると、なにしろ候補者が多いから、暴力的なまでの騒々しさになる。
私は物心ついた頃から、選挙カーの 「連呼」 が不思議でたまらなかった。 「○山○夫でございます。ナニトゾ、ナニトゾよろしくお願いいたします」 と繰り返されて、「はい、わかりました。あなたに一票投じましょう」 なんていう有権者がどこにいるというのだ?
投票日の前日に、「×野×子です。あと一歩のところまで来ております」 と哀願されても、「それはアンタの一方的な都合でしょ」 と思うだけで、「じゃあ、その 『あと一歩』 を俺が埋めてやろうか」 なんて決して考えない。
それどころか、世の中の大勢は選挙カーの連呼はうるさい、迷惑としか考えていない。それなのに、なんでまた愚かしいことを繰り返すのか? どうして政策を具体的に訴えないのか。
そう思っていたら、ある日の TBS ラジオの 永六輔氏の番組で、「あれは、法律的に候補者の名前の連呼しかできないことになっているのだ」 という話を聞いた。
そんなアホらしい法律があるのかと思ったが、このページの初出の平成 14年には、インターネットにもなかなかそれらしい情報がなかった。しかしさすがに 5年も経てばかなり進化し、「法庫」 というサイトが見つかった。その中の公職選挙法の重要部分を引用しよう。
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(車上の選挙運動の禁止)
第141条の3 何人も、第141条(自動車、船舶及び拡声機の使用)の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項(連呼行為の禁止)ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない。
(上記 2~3行目、理解の便宜のため、tak-shonai の判断で太字斜体文字に変えた)
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法律特有のわかりにくい文章の要点をかいつまんで説明すると、「選挙カーでは本来選挙運動をしちゃいけないのだが、停止中の演説と、走行中の連呼だけはやってもいいよ」 ということなのだ。
これでもまわりくどくてうっとうしいから、さらにごくフツーの言い廻しにすれば、「選挙カーでは、停車中の演説と、走行中の連呼以外はしちゃいけない」 ということになる。ああ、馬鹿馬鹿しい。
それにしても、「選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない」 という文言は、スゴイ。日本一シュールな法律条文だと思う。この条文を作ったお役人の頭の中を、一度のぞいてみたいものだ 。
さらに、第201条の13 では、政党などのキャンペーンカーでも、選挙期間中は、走行中は連呼だけと決められている。これについては、長くなるから割愛する。
あちこちのブログなどで、選挙運動経験者とおぼしき人が、「走行中は演説なんかしても、どうせ最後まで聞いてもらえないのだからしょうがないだろう。だから、連呼だけと決められているのは当然だ」 みたいなことを、訳知り顔で (顔は見えないが) 書いているのを散見する。
こうしたことを言う人は、想像力の欠如した人である。「連呼」 でなければ 「演説」 しかないと思っている。それ以外にも、気の利いた短いキャッチフレーズで訴えるとか、いろいろあるではないか。ところが、公選法ではそれもしちゃいけないということになっている。走行中に認められているのは、あくまでも 「連呼だけ」 なのだ。
ただ実際には、短いキャッチフレーズをいろいろ交えている人が多い。つまり現場では、お上の見逃してくれる限界すれすれのところの勝負になる。このあたりが、因習的選挙プロの出番だ。選挙プロにとっては、馬鹿馬鹿しい公選法は、メシの種なのである。
さらに本質的なことを言えば、「走行中は演説してもどうせ最後まで聞いてもらえない」 からといって、連呼しか許さないというのは、法律の余計なお世話である。演説したきゃ、すればいいじゃないか。本来、候補者の自由に任せて何の弊害もないことを、法律で禁じてなんの意味があるのだ。
というようなわけでわかったことは、公選法というのは、「これこれのことはしちゃいけない」 という (法律としてごくフツーの) コンセプトで作られているのではないということである。驚くべきことに、「原則的に、選挙運動はしてはいけない」 というのが大前提なのだ。その上で、「ただし、これとこれはしてもいい」 という構造で成り立っているのである。だから、やたらと面倒で複雑で、馬鹿馬鹿しい。
そして、走行中は連呼のみが許されるという規定は、多くの候補者の 「政策なんてチンケなものを訴えるよりも、ひたすら名前を連呼したい」 という迷信的メンタリティに迎合しているのだろう。それ以外に、そんな無意味な規定をする意味がないもの。
彼らにとっては、「政策」 なんて、確かに 「チンケ」 なものにすぎないのだろうし、それに、チンケな政策を言い過ぎたら、後でやぶへびになりかねない。ウグイス嬢も、昔からのやり方を踏襲して 「プロの連呼」 というものを売り物にしているに違いない。
候補者にとっては、自分と直接間接に結びついた組織票さえ固めれば、選挙運動なんてほとんど終わったも同様である。選挙カーでの巡回は、組織票を投じてくれる人たちの地元への 「形式的ご挨拶」 なのだ。だから、政策なんて訴えてもしょうがない。
なまじ選挙カー走行中に政策を訴えてもいいなんてことにすると、浮動票を投じる有権者にまで余計なアピールをしてしまうから、票が読みにくくなる。浮動票がどっと動くと、改革派が有利になるに決まっているから、投票率なんて低い方がいい。低く抑えるためには、選挙運動を馬鹿馬鹿しいものにしておく方が都合がいい。とまあ、こういう理屈なのだろう。
要するに公職選挙法は、守旧派が有利に選挙を進めるための防護壁であり、改革派にとっては高い障壁として機能しているわけだ。なにしろ、インターネットも使っちゃいけないってんだから。

